「吹篪乞食」
意味の解釈:篪を吹いて乞食をする。路上で乞いをする。篪:古代の楽器の一つで、笛のように、八孔がある。
人物:伍子胥
出所:『史記・範雎蔡澤列伝』:伍子胥橐載而出昭関,夜行昼伏,至于陵水,無以糊其口,膝行蒲伏,稽首肉袒,鼓腹吹篪,乞食於呉市。
伍子胥と言うと、蘇州の人々は大変尊敬し、伍子胥が蘇州の千年古都の計画設計者であったからである。イメージの中の伍子胥は、意気軒昂の偉大な英雄に違いない。しかし、誰も予想できなかったのは、英雄でも、結局のところ、末路がある時、「吹篪乞食」という言葉は、このヒーローの人生のどん底の状況である。
2500年以上前の春秋時代に、楚平王が即位し、伍奢は太師に就任した。後に平王は讒言を聞いて、伍奢とその長男の伍尚を殺した。次男の伍員(すなわち伍子胥)は逃げた。楚平王似顔絵を描くように命令し(現在の指名手配令上の人物の顔写真に相当する)を描き、各関所に掲示して子胥を捕まえるよう命じた。子胥は先に宋国に赴いたが、宋国に亂があったため、また呉国に身を寄せたが、陳国を通り、数日をかけて東に向かい、昭関に到着した。昭関は二つの山の間にあり、その前に大きい川があり、情勢は険しかったが、多くの兵士が守り、そこを通過するのは天に昇るよりも難しかった。
その時、彼は東高皋公という男に会った。東皋公は伍子胥の不幸に非常に同情し、伍子胥を彼の家に住まわせた。伍子胥が関所を出ようとした時に、昭関から遠いところへ行き、関所を守衛する人が通り過ぎる歩行者を捜査しているのを見て、伍子胥は、これでは通る方法はないと思い、再び東皋公の家に戻り、考え過ぎて、焦りまくった伍子胥は一夜で髪が白くなった。老人みたいに見えた。数日後、東皋公は伍子胥に大変似ている人を見つけ、彼に伍子胥の服を着させ、替え玉として、タイミングを待ち、昭関を出ようと努力した。
関所を渡る時に、その替玉は東皋公の前に指示した通りに、わざと慌てたふりをして、守衛の目を引いたが、結果、鋭い守衛兵士に見つかり、彼を捕まえた。関所で当番していた兵士たちは、伍子胥が捕まえたと思い、歓喜し、警戒を緩め、後ろの通り抜ける人を尋問
しなかった。そして、ちょうどこの時、白髪の伍子胥は破れた服を着て、中身のわからない大きな袋を挟んで、半分の顔を遮り、頭を傾げて、大変ながらも速く歩き、隣に東皋公の援護のもとに、昭関を出た。あの数名の守衛兵士がその替え玉を尋問し、目の前のこの「伍子胥」が質問に答えられないことに気づいた時に、やっと間違った人を捕まえたのがわかり、しかし、この時点では、本物の伍子胥はすでに跡形もなく逃げた。
呉国に着いたとき、伍子胥はすでに何日も何も食べておらず、また途中で風に雨に襲われ、衣服も破れ、飢えと寒さに苦しんでいた。蓬頭垢面の伍子胥はその破れた服を脫ぎ、上半身は裸で、賑やかな街で、篪を吹き、曲を歌って人々の目を引き、人々が少し食べるものをくれるように望んだ。彼は悲しそうに歌い、「うー、大きな冤屈はどこにも訴えられない。宋国からここまで走り、独りぼっちで、私の父と兄を殺した大きい仇は打たなければならない。今日まで篪を吹き、泣きながら乞食をし、私の歌声を理解して、助けてくれるやさしい人がいませんか。伍子胥は彼の身の上を歌った。
伍子胥は楚国の貴族家庭に生まれ、幼い頃からいい教育を受け、史書には「子供の時から文章が好きで、長い時間で武術を習った」と書いてあり、「文章で国を治め、武術で天下を治める」才能があると称えた。その後、呉の公子光と知り合って、呉王僚を刺殺することを計画し、公子光が王位を獲得するのを助けた。闔閭は彼を「行人」に任命し、呉国の重要な謀臣となった。





