「純魲之思」
解釈:故郷を懐かしく思う気持ちを比喻する。
人物:西晋張翰
出所:『晋書・張翰伝』:翰因見秋風起、乃思呉中菰菜、莼羹、魲魚膾。
『晋書・張翰伝』には「張翰、字季鷹、呉郡呉人也」との記述がある。張翰は名門出身で、父は張儼であり、呉国大鴻胪を務めた。
三国時代の魏国の阮籍は才能が豊かだが気ままにふるまい、有名な「竹林七賢」の一人であった。「魏晋風度」の代表人物であり、かつては歩兵校尉を務め、「阮歩兵」と呼ばれた。呉地に生まれた張翰は、同様に才能が抜群で、性格は脱俗超凡で、当時の人々は彼を「江東歩兵」と呼んだ。
張翰の才能は抜群であり、「晋書」には「翰有清才、善属文、......其文筆数十編行于世」と記されている。張翰の性格は脱俗超凡で、二つの物語が証拠である。
その一つは「思いつきの旅」である。
会稽(現在の紹興の辺り)出身の賀循は西晋の都の洛陽に就任し、呉地(現在の蘇州)閶門を通って船の中で琴を弾いた。張翰と賀循はお互いに知らなかったが、積極的に賀循と会話し、二人は話が弾み、互いに憧れ合った。賀循が洛陽に行くと聞いて、張翰は「私も北方の都に仕事を探しに行くつもりだ」と言った。そこで、賀循と一緒に船に乗って家を離れて北へ向かったが、家族すらに別れを告げなかった。それは「思い付きの旅」と言える。張翰は気ままで世俗に拘らない性格が一目瞭然である。
2つ目は「思い付きの帰郷」であり、即ち「蒓魲之思」という成語の語源である。
北上した後、張翰は斉王司馬冏の東曹掾(官署の属吏)を務めた。当時、斉王の司馬冏は大司馬を務め、朝野の権力を持ったが、「八王の亂」の時期に当たり、朝廷は危機が潜んでおり、社会は動揺不安に陥った。張翰は「世の中は不安定で、災難は次から次へと現れた」状況を見て、心に隠退する意が生まれた。『晋書』には、「翰因見秋風起,乃思呉中菰菜、莼羹、魲魚膾」という記録があり、張翰は「人生贵得適志,何能羁宦数千里以要名爵乎」と言った。張翰は秋風が吹くのを見て、呉地の菰菜、蒓菜スープ、魲魚膾など故郷のグルメを思い出し、功名爵位を放棄し、人に馬車を走らせ故郷に戻った。もう一つの「思い付きの帰郷」である。しばらくして、斉王の司馬冏が敗北し、張翰は難を逃れた。張翰は時局を洞察し、進退の知恵を持ち、名利を軽視して本心を守る品格は「蒓魲之思」という成語とともに後世に伝わっている。
「蒓魲之思」の中の「蒓」は、蒓菜スープを指す。蒓菜、馬蹄菜、湖菜などとも呼ばれる。若葉は食べられる、味わいがまろやかで、美味しく、ツルツルで、薬食両用の保健作用を有し、主な産地は太湖流域であり、「蘇州水八仙」の一つである。
「蒓魲之思」の「魲」は、魲魚の膾(魲魚の刺身)を指す。歴史学者や農学者などの調査によると、現在見られる魲魚は張翰の時代の魲魚とは異なるかもしれない。しかし、魲魚は古くから魚の料理の中では最高の存在である。張翰は『思呉江歌』という詩があり、その中に「秋風起兮木葉飛,呉江水兮魲正肥。三千里兮家未帰,恨難禁兮仰天悲。」と書いてある。蘇州の先賢の宋代の範仲淹は『江上漁者』という詩を書いた。その中に「江上往来人,但爱魲魚美。君看一葉舟,出没風波里。」と書いてある。現在でも、魲魚の郷の呉江で産出された魲魚は蘇州人に最も愛される料理の一つである。「蒓魲之思」は蘇州と杭州辺りの名物料理になった。
「蒓魲之思」という成語は呉地の風物と江南の美食を融合させ、その中に故郷を愛し、本心を守り、進退を知る人生観が含まれており、蘇州文化の血脈に流れている。





